低温科学部のヘリウム液化機の歴史
 、日本で最初にヘリウム液化機が金属材料研究所低温室(極低温科学センターの前身)に導入されたのは昭和27年(1952年)であり、 オランダ・ライデン大学のカマリン・オネスが世界ではじめてヘリウムの液化に成功した1908年から44年後のことになります。 現在、本センターで働いている液化機は初代から数えて4代目となります。
 ここでは、初期の液化機の頃から運転に携わってきた、大友貞雄技官(平成12年度退官)が、「東北大学極低温科学センターだよりNo.2(2001年)」に執筆した 「ヘリウム液化機の変遷とともに」の内容をもとに、最近の情報も加えて、東北大学における液化機の歴史を紹介をさせていただきます。
ADL社のコリンズ型液化機
(1952年〜1970年)
日本の極低温研究の扉を開き、それ以降の東北大学における低温研究分野の伝統と基礎を築いていくスタートとなった ADL社のコリンズ型液化機を昭和45年まで稼動させて、東北大学の各部局に液体ヘリウムを供給していた。
当時の液化量は4 リットル/h程度であったが、その後コンプレッサーを増設して8 リットル/hの液化量までアップさせた。 しかし液化運転が密になるといろいろとトラブルが生じた。今原因を推測すれば、回収ヘリウムガスの純度(?)が大きな割合を占めていると想像される。 重故障のトラブルの結果、液化機を停止せざるを得ない破目になり、液体ヘリウムを希望しているユーザーに供給不能という事態になった。 これは彼らにとって突然実験中止の一大パニックの状態であったように思う。
(総供給量21,300 リットル・年平均800 リットル)
日本酸素社製液化機
1971年〜1992年)
その後、毎年毎年確実に使用量が増えていく低温研究者への液体ヘリウムの供給不足と利用するユーザーの増加に対応するため、 昭和46年共同利用施設として低温センターが設置された。当時国産大型液化機として注目された日本酸素KK製の レシプロ形膨張エンジン型の60リットル/hヘリウム液化機、精製器、回収設備が主要機器として設置され、 東北大学の理学部、工学部、通研にもサブセンターができ、全学規模でヘリウム実験が可能になった。昭和46年から平成4年まで2代目の液化機は、 フル稼動の状態であった。

(総供給量1,132,600 リットル・年平均38,000 リットル)
リンデ社製液化機 TCF50型
(1993年〜2009年)
当時、20年以上にわたる酷使により、液化システム機器全般の老朽化が顕著になって、次第に増加する液体ヘリウムの需要に応じきれない状態になってきていた。 その打開策として、その数年前より大型液化機への更新を計画していた。事務部をはじめ関係各位のご尽力により液化システムの設置が実現する運びとなり、 平成5年に動圧ガスベアリング方式のヘリウム膨張タービンを採用しているリンデ社のTCF50ヘリウム液化機が導入された。液化能力量は前液化機の2.5倍のとなる 150リットル/hであった。その後の学内需要の更なる上昇のため、平成16年頃からフル稼働の状態になった。特に13年目の平成18年頃から電子部品やバルブ類の故障が 頻繁に起こるようになったが、平成21年末まで年間最大15.5万リットルの液体ヘリウムを安定して供給し続けた。

(総供給量1,556,000 リットル・年平均97,000 リットル)
リンデ社製液化機 L280型
(2010年〜現在)
年々さらに増加の一途をたどる液体ヘリウムの学内需要に対する安定供給体制を維持するため、より省電力・高効率の液化システムが待望されていた。 幸いにも平成21度概算要求が認められ、200リットル/hの液化能力を持つL280型液化機を主要設備とする液化システムへと更新することができた(平成22年度より本格運転)。 本システムには100L小分け容器へ汲みこみが約5分で行えるヘリウムポンプも付属され、大量供給のネックになっていた汲みこみ時間の短縮も実現できた。 しかしながら、L280型の内部精製器は、回収ガス中に含まれる水素の除去能力が低く、平成24年頃より供給されるに液体ヘリウム中に固体水素が混入する という問題が発生した。現在運転方法の工夫により問題は解消されつつあるが、水素除去のための根本的対策が待たれている。

(年平均供給量97,000 リットル)